花火とわたしたち

O嬢の部屋を出て、解散後、俗世に戻り。
夜は近所の遊園地で花火大会。春は桜、夏は花火。だもんね。
花火のあざやかさ。豪快さ。はかなさ。風にのってくる火薬の匂い。どれも胸にせまるけど、知らない人同士が集まって、ただ空を見上げる構図が好き。みんなして、「うわぁ‥」なんて声をあげたり、「すごいね」「きれいだね」、興奮して小さくつぶやいたり。挙句の果てには拍手。こんな離れた場所から拍手したって、花火を揚げてる職人さんまで届くはずない。でもそんなこと関係なく、拍手したくなっちゃう衝動。花火の拍手はかなり純粋な(原始的な) 拍手と思う。

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少々感動が大袈裟なのは、去年読んだこの本の印象が強いせいだと思う。ご主人を花火工場の事故で失くした(爆死された遺体と向き合った)ときの記述と、その後描いた花火の絵の印象が、強いせいだと。‥仕方ないじゃない。

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こわがりの4歳児(姪っ子)を連れていったのだけど。去年は平気だったし、「花火!花火!」とたのしみにしてたのに。いざ花火が始まったら、音におびえて泣き叫んでいた。「イヤ!こわい!うわああああん!!」「帰る!帰る!花火いやああああん!」。かなりうるさい。騒がしい場所で見ていてよかった。
なだめながらも、誰ひとり、「じゃあ帰ろう」とは言わない、冷酷な大人たち。花火が終わるまで、わたしの背中に隠れ、耳をふさぎ地団駄をふんでいた姪。花火の音より大人たちの冷酷さがトラウマになっていなければいいが(いまさら)*1
しかし耳をふさいで暴れながらも、その暴れっぷりを「クス。かわいいね」。背後からそう評する声を耳にすると、「かわいいってあたしのこと?」とでもいうように、くるーんと振り返って半べそ笑顔を見せた姪。一寸の4歳児に五部の女心を見た。

*1:しかもこのあと帰りの車のなかで、姪の浴衣の袖のなかに蝉がひそんでいたことが発覚。火がついたように泣き叫ぶはめに。‥ぜったいトラウマ