女装本とわたし

乙友が貸してくれた女装本セット。なにがどうして女装本をわたしに。
貸すほうも貸すほうだけど、借りるほうも借りるほう。ましてや満喫するなんて。もってのほかだがおもしろかった。

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女装と日本人 (講談社現代新書)

女装と日本人 (講談社現代新書)

ところどころにどうなのかなあとぼんやりしたつっこみ心を持ちながらも、たのしく読了。どうなのかというのは、ポジティブすぎる気がするのだけれど‥。ポジティブに受け止めないとやってられないのかもしれないけれど、でもやっぱりどうなんだろう*1。自分史が入るのはいいけれど、自分史部分の「語る部分」「語らない部分」の線引きがあいまいなのもどうなのか*2。女装者を理解してほしいのか、女装者である自分を理解してほしいのか、なんだかぼやけてもやもやしてしまい残念。
でも読みやすいし、興味深い話がわかりやすく網羅されている、女装本として価値ある一冊であることは間違いないです。自分の思想の立ち居地が見える、よい本と思います。おもしろかったです。女装者と比べてより迫害されているような気がする男装本も出たらいいのに*3

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ポスト・モダン展が予想以上の盛況で、いろいろ使い果たした感があり。きりもいいので、しばらく日記をおやすみしようかと思っていたのですが。こんなおもしろい本を読んだら、日記に書きたくなっちゃうじゃない。バカバカバカ、自分のバカ。よりによって、それが、マツコ・デラックスの本だなんて。‥ほんとバカだよ。

週刊女装リターンズ「女の業」号

週刊女装リターンズ「女の業」号

マツコの業ウォッチャーとしての業の深さに泣きました。でもマツコの本で日記再開を決めたわたしも、意外に業が深いのか‥。‥泣こう *4
週刊女性に連載したらしいTV評部分(見る私)では、レントゲンみたいに、ブラウン管越しに人間の業を観察してたのしむマツコ。ナンシー関を彷彿とさせる切れ味の鋭さ!しかし彷彿させているのは体型かも知れず。日置忠男インタビュー(聞く私)では、神妙に愛についてうかがうマツコ。読んでしんみりするわたし。そして中村うさぎ倉田真由美との対談(言う私、そして、生きて行く私。この対談が濃くて深くて、涙なしには読めない‥)では、語りすぎのマツコ。なにもそこまで。自分を痛めつけてまで、マツコ。しかし人間はそういう、無防備に自分をさらけだすしかない姿に、胸を打たれてしまうのです。まさかマツコに、愛を感じてしまうとは。いつかマツコと、愛しの黒柳徹子の話などしたい*5。そんな夢を胸に、生きて行くわたし。

*1:エリザベス会館への出入りを禁止になったことについて、「出る杭は打たれる。人の世に嫉妬はつきもの」みたいに書いてあるけど、「クラブ外での女装姿での外出は基本的に禁止」って同じページに書いてあるじゃん。その禁をやぶって外出したりTV出演までしたら‥。他の会員のプライバシーもあるのだし、そりゃあ退会していただくしかないのでは

*2:女装に目覚めるまえに交際していた婚約者とはどうなったのか(結婚生活があったらしいので結婚はしたらしい)(著者の三橋さんは、女装をするが性的には異性愛者。と書いているけどホステス時代に女性として男性と交際していたそうなので、それもよくわからない)。まあこのへんプライベートなことなので他人に説明するのは大変だしそんな義理もないと思うのだけれど、だったらはじめから書かなければいいことであって。あれ?結局どうなの?と著者のプライベートに興味津々な自分を発見してしまい、嗚呼これしなくていい自己嫌悪‥と疲れてしまった

*3:女性が男装するのって、体型の越えられない壁も痛々しいけれど、社会的役割に性差があることが透けて見えることがとても痛々しく、それで市民権を得られないのではないかと思うのですが‥。なんとかならないのでしょうか

*4:ほんとはすっぱり終了と宣言したいのだけど、日記書くの、好きなんだもの。先日の楳図カーニバルだって、ちょうたのしくて「日記に書きたい!!」と思ったし(えてしてわたしが夢中で書いたものは、ごくごく一部受け。でもいいの。万人に楽しんでもらえなくても、5人の友達に「泣けたよ」と言ってもらえるような位置が好き)(というかそこにしかいられない)

*5:みんな徹子を好きすぎる