上村松園展 @東京国立近代美術館

  
京都で生まれ育ち、京都府画学校に進み、鈴木派の鈴木松年をはじめ四条派の幸野楳嶺、竹内栖鳳に学んだ上村松園。若くしてその頭角を現し、文部省美術展覧会(通称文展)など各種展覧会に出品、気品あふれる人物画を次々と生み出しました。松園は、浮世絵をはじめとする古画や伝統芸能、古典文学などの幅広い知識を土台とし、市井の人々の営み、歴史や物語、謡曲などに題材を採ったさまざまな作品を描きました。そこには女性が数多く登場しますが、単なる女性美を表そうとしたのではありません。画中の人物の心情に寄り添うかのようにあたたかな眼差しで対象を描くこともあれば、人物の心の奥底に渦巻く情念を静かに描き出すこともありました。近世初期風俗画や浮世絵など人物表現の伝統の厚みを受け止める一方で、対象の内面や精神性の表現が追求された近代という時代と向き合い、自分ならではの人物画を模索したのです。
本展覧会では、松園の画業を大きく3期に分け、代表作を含む約100点の作品によって軌跡をたどるとともに、その本質を改めて探ります。(→HP

すでに「焰」の展示が入れ替えになっていたのは悔やまれるけれど(でも「序の舞」が観られたのでそれはそれで満足)、代表作約100点は見応えあった。若き日の筆には若き日の清潔な視線が、後年の筆には深みを帯びたまなざしが透けて見え、どの年代の作品も素敵だった。どの絵に描かれた女性にも、やさしさとたくましさと少しの超然が見え美しかった。着物の柄の描写がたんねんなのは女性ならではなのでしょうか。特に絞りのあでやかさはすごかった。路線はまったくちがうのだけれど、着物着たくなった‥!*1
上村松園という人のひととなり(?)は、知れば知るほど興味深い*2。明治時代、封建的な時代、はじめての女性日本画家といってもいいような存在で、若くから成功したせいか、男性(画家?)たちからかなりの嫉妬やいやがらせをうけていたことや、未婚の母となったこと。「絵を描くために生まれてきた気がする」という言葉。強さはどこからくるのかな。松園の描く女性が超然としているのは、超然とならざるを得なかった心のせいなのかしら。だとしたら、それはかなしいことなのかしら。美しい絵を見てうっとりしながら、すこし複雑な気持ち。

*1:絵になっていてもやっぱり夏の着物がいちばん素敵に見える。猛暑のため着物はおろか浴衣すら着なかった今年の夏を猛反省

*2:でも松園展HPで連載している辛酸なめ子の文章はびみょう‥