地震とわたし

地震の日は、会社に泊まったけれど、テレビのそばに近寄らなかったせいか、同僚の豪気な性質のせいか(もちろん女子。女はつよい)、ひとりで家にいるより(Kは夜、家にいない日だった)、ずっと安心して過ごせた。帰宅難民なんていうけれど、難民生活もまたたのし。というか、恵まれていたのだろう。でも、すべては気の持ちよう、ほんとにそう思う(持てるあいだだけでも)。
職業婦人なので買占め祭には参加できなかったけれど、あの買占めも、乳幼児のいる親戚のために買ってあげてた人とか、多いんじゃないかなあ。こんなときこそ性善説。もしも、ほんとに、自分の家族のためだけの買占めだとしても、べつに、生き残りたいという本能には、ひれふすばかりだ。嫌味ではなくて、パワフルな人が生き残るのは自然な気がするし。
なんだか、いろいろあって、非常時には、いろいろなことがむきだしになると思った。わたしがむきだしにしたのは、いじましい楽天性。頭悪そうでイヤだけど、わたしの中の人がそうだったのなら仕方ない。甘んじて受けよう。
被害にあわれた方、東北に大事な人がいる方が、安心して過ごせる日が、早く来ますように。まだまだ渦中なので、いろいろたいへんだけど、早く、こころの部品が全部そろいますように。