芦川いづみ映画祭 @新文芸坐

芦川いづみ映画祭

~『芦川いづみ 愁いを含んで、ほのかに甘く』出版記念 ~

芦川いづみ(あしかわ・いづみ)
1935年東京生まれ。松竹音楽舞踏学校に所属していた53年、川島雄三監督にスカウトされ『東京マダムと大阪夫人』で銀幕デビュー。55年川島の推薦で日活に入社し、石坂洋次郎原作『乳母車』で石原裕次郎と初共演するなど、文芸作品からコメディやアクションなど幅広いジャンルの映画に出演し、チャーミングな容姿と性格で人気を博す。日活黄金期を代表する女優として活躍していた68年、俳優の藤竜也との結婚を機に惜しまれつつ引退。

http://www.shin-bungeiza.com/pdf/20191205.pdf

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新文芸坐の特集上映は魅力的。大きなスクリーン、しっかり黒い闇、椅子もふかふかだし音響設備もそうとう良い。以前小さめのスクリーンで観た映画に新文芸坐で再会して、「こんなだったんだ!?」と驚くことはよくある。しかし新文芸坐の特集上映は容赦ない。上映作品は基本日替わり。観たい映画と観に行ける日にかかる映画が同じとはかぎらない。そんなわけで、せっかくの『ジャズ・オン・パレード 1956年 裏町のお転婆娘』を見逃してしまい、うなだれるわたし。呑気に見える映画鑑賞の道も意外にハードボイルド。

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特集で観た映画たち。

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佳人(1958) 監督:滝沢英輔

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幼い頃から病床に伏す少女つぶら(芦川)。毎日遊びに来ていたしげるは成長しても彼女を愛し続けるが、徴兵され離ればなれに。(つぶらの渡すお守りに涙) そして復員するとつぶらは意の沿わない結婚を強いられていた…。そのあまりに苛烈な運命に観る者の胸がはりさける。本作の芦川の可憐さは、この世界にこんなにも可憐な女性がいるのかと思うほどです!必見! 

ポスターはカラーですが映画は白黒。まばゆい白黒。なにがまばゆいかといえば、やはり芦川いづみでしょう。物語は悲恋というか悲劇なのですが、悲劇すぎてメルヒェンというか御伽噺というかフェアリーテイル?でも芦川いづみのまばゆさが、御伽噺に説得力を持たせるのです。「小さな赤い椿の花みたい」とか、不幸を紡ぐモチーフがまた夢のように美しく丁寧で。すごーくつらい話で、もう二度と観たくないと思うのに、この映画の中の芦川いづみには、何度でも出逢いたいというおそろしさ。ううう(嗚咽)。

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あじさいの歌(1960) 監督: 滝沢英輔

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散歩の途中、藤助が助けた老人を送っていった洋館には美しい娘がいた…。外界と遮断され暮らすけい子(芦川)が、藤助やその友人たちとの交流によって生き生きと変わっていく。長い髪をばっさり切ってショートにする場面!家族を捨てた母親と再会したゆみ子が語る台詞も印象的。清潔感あふれる芦川の魅力を最大限に活かし、名匠・滝沢が丹精こめて綴った佳篇。

この、洋館がほんとに素敵で‥!横浜の山手のほうらしいんだけどまだあるのかな‥もうないのかな、こんな素敵な洋館のせいか、長い髪をショートカットにするせいか、昭和のロマンチックコメディはヘップバーン風味。日本の妖精さんだね‥。

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あした晴れるか(1960) 監督:中平康

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カメラマンの耕平は「東京探検」という企画を任されるが、苦手なタイプの才女・みはる(芦川)がお目付け役に。衝突しながらも次第に惹かれあうラブコメディ!膨れっ面、ウソ泣き、舌ペロ、酔っ払い演技に乱闘シーンまで豊かな表情を見せる芦川が超キュート!おでこ全開(本人は嫌だったとか)に黒縁メガネの芦川のコメディエンヌぶりが最高!大傑作!超必見!

このキュートなコメディエンヌぶり‥。ほんとにかわいい‥。かわいい顔でこどもっぽくみられるのが嫌で伊達メガネかけてるのとか、キャリアウーマンぽく見せるためパンツスタイルとか(この時代にもパンツスーツがあることに感心したりして)、でも部屋のインテリアが少女趣味でかわいくてキュンとしたり(ダッコちゃんの人形もあったよ)(中平康は『結婚相談』でも女の子の部屋がかわいかった!のでうれしかった)、目がたのしい‥。幸せ‥。「綺麗な脚なのに、なんでスカートをはかないの?」「スカートをはかないんじゃなくてズボンを履いているのよ」、気が付けば色々なことが進化?している令和、ジェンダー論だけたいして昭和から進化していないのを発見。

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 堂堂たる人生(1961) 監督:牛原陽一

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玩具メーカーに勤める周平と小助は新製品テスト中、浅草の観音様で下町娘・いさみ(芦川)と知り合う。裕次郎長門・芦川のトリオが倒産寸前の会社の再建のため、金策に契約に大奮闘する痛快篇。寿司屋の娘で、勝ち気で頑固、行動派のいさみのツンデレぶりが魅力的!民族衣装もコスプレも。『あした晴れるか』と共に芦川の様々な表情を堪能してください! 

ところで、依然として石原裕次郎の魅力(どこがかっこいいのか)がわからないわたし。どこがかっこいいのかわからない(顔がとても小さくてスタイルが良いことはわかった)のに、裕次郎映画は裕次郎を中心に回っていくので、居心地悪し。その反動なのか、長門裕之はすとんと好ましく見える。かっこいい、というのとはちょっと違うかな、愛嬌があって憎めなく、むしろかわいい‥? いいねをたくさん押したい気持ち。映画を見てるときはぼんやりその時代にタイムトリップ?してるので、「彼、ちょっとイカすじゃない?うふ」なんて脳内ではしゃいでます。長門さん好きだァ‥。

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その壁を砕け(1959) 監督:中平康

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結婚間近の三郎ととし江(芦川)。しかし、三郎が覚えのない殺人容疑で逮捕されてしまう。芦川は恋人の無罪を証明するために奔走するとし江を好演。平凡な幸せを奪う冤罪を題材に、ミステリ好きの中平はオーソドックスに描写を重ね、サスペンスを高める。芦川は中平について「ビシッと決まらないとダメな厳しい監督さんで、フル回転で挑んでいました」と述懐する。

 そんな長門裕之が活躍するこの映画。特に「必見」マーク(?)は付いていないけどとても面白かった(白黒映画です)。

まず、劇中ロードムービーばりに移動するので、昭和30年代の町並みがとても興味深い。と・言っても、鴻巣から新潟方面は自分にとっては特に馴染みのない土地で、強いて言えば前橋駅には行ったけど(そしてたしかにドーンと道路が広がっていた印象は変わらず)一回きりだし‥。新潟駅にも長岡駅にも行ったことない(ので「ここが!?」的な感慨はない)。ただ、今では大都市だろう駅前の当時の未開っぷりに天を仰ぐ気持ち。中盤に出てくる上野駅、しかしここはすでに都市として成立してしまって、今の姿と大差なくて少し肩透かし。ときめいたのは汽車の様子かな。座席でふつうに煙草吸ってたり、はるばる異世界。自分はこの異世界っぷりをSFのようにとらえていたのだけど、ほんとはSFじゃなくて、ただの時間の流れなんですよね‥。時間の流れでこんなに気持ちに隔たりが出来るのはほんとに不思議。町の風景に、「ミヨシマーガリン」?レトロ雑貨屋さんでよく見る、こどもの顔の描かれたマーガリン‥の旗が見えたのも、「ほんとにあのマーガリン売られていたんだ!」というときめきと、じゃあやっぱり同じ場所の話なんだな?という確認?驚きがあって不思議な感覚でした。広告の形式が「旗」というのも時代感あってよかったです。

無実の、善良なカップル(結婚を約束してるんだから婚約者同志)が、冤罪で嫌疑をかけられているとき、女性が「情婦」と呼ばれるの、すごく嫌なリアルさがあって気持ちがどんよりした。冤罪についても、目撃証言だけであそこまで犯人扱いされるのは映画だからだよね、、、?実際はもっと科学的に検証するよね、昭和30年代でも出来るよね‥?いくら映画でもこれはないんでは?と気になったけど、現代の映画を観ててもこういう気持ちになるときあるから娯楽は仕方ないのかな。

しかし(以下ネタバレになるかもしれないので、気になる人は読むの控えてください)意外にもドラマは、権威側が過ちを認められるか?という争点に。お、いきなり現代的なテーマだぞ?と思ったら、「そんなこと名誉にかかわる」などと悩みながら、きちんと過ちを認めて撤回していて、ううう、むしろ現代のほうがだめなことっていっぱいある!いっぱいいっぱいいっぱいある!と昔の日本に謝りたい気持ち。今のほうが未来だからって心のどこかで上から見てた部分があるのかも。ほんとごめんなさい。

古い映画や古い音楽、古い漫画等なんでもいいんだけど、古い作品に対して、「今でも通用する」的な発言、ついしちゃう気持ちはわかるんだけど、「なんで今の方が優れてるみたいな気になってるの?」ってひっかかるんだよ。技術や機材など、進化するものがあるのはわかる。でも、精神的なものが、50年くらいでバカにできるほど良いものになってるとなぜ思う?基本、今と変わらない。ものによっては、昔のほうが良いこともある(もちろん、今のほうが良いこともある)のに。

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硝子のジョニー 野獣のように見えて(1962) 監督:蔵原惟繕

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貧困のため人買いに売られ、逃げ出したみふね(芦川)を競輪の予想屋ジョーが救うが…。さすらう女と男の運命がもつれ慟哭の結末を迎える。芦川は普段からみふねでいたいと役作りに注力、撮影初日から蔵原のイメージと合致したという。渾身の演技によって、みふねの無垢な魂は聖性すら帯びる。北海道の荒涼たる風景をシャープに捉えた映像を大画面で是非!激必見!

 困りました。今回6作観たなかで、この作品の芦川いづみがいちばんいじらしく可愛らしかったのですが、この役、知恵遅れ的な役なんですよね。日本版『道』(フェリーニ)というか。そのよるべなさ、必死にすがろうとする姿、損得を捨てた振る舞いなどが聖女にすら見えて‥。この作品をあまり肯定するのは自分の中の女性観に問題ありってことになりそうなのに、とんでもない神性。ああでももちろん作品のなかのキャラクターとしての聖性なんだけど‥。ううん、困る‥。ジェルソミーナ‥。

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以下、また余談。

2017年の年末に、しょうわのくらし博物館に、高野文子の描く昭和のこどもという原画展に行きました。「おともだち」からの原画を拝める日がくるなんて誰がそんなだいそれた願いを持ちました?こんな日がくること、あの頃夢にも思わなかった。拝ませてもらった原画、美しい描線はとても芸術むしろSF的でいろいろトリップしたのですが。

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同時開催されていた「楽しき哀しき昭和の子ども」という展示*1

はじめは「楽しき」側面から、夜店に並ぶセルロイド、お人形さんごっこなど、うきうきわくわくああたまらない‥!文化を紹介(お金持ちのお嬢さんの使っていたおままごとセットや絵日記を見せてもらってキラキラ光るシャワーを浴びたような気持ち)した後、ストンとその「哀しき」側面が紹介されるのですが。こちらは展示するものが難しいので文章メインだったのですが、サーカスに売られる子供や、身売りされる少女・娼館について触れられていて。もう2年前のことなのでだいぶ輪郭はぼやけてしまいましたが、娼館についてはこのような解説がされていました。

貧困からやむなく親から身売りさせられる少女たちがいた。たいてい娼館に行った。娼館は必要悪として見られていたが、娼館に売られた少女たちは年季が明けても家に戻ることはほぼなかった。売られた少女たちは忌むべき存在だったのだ。根本にあるのは女性差別である。 

 

(記憶のなかから書き起こしているので細部は違うと思います)

それまで高野文子の原画を拝んだり、昭和の楽しき部分を見てキャッキャはしゃいでいたので、いきなり冷水を浴びたような気持ちになりました。なりながらも、うっすら、このことほんとは知っていたことに気付きました。うっすら知りながら、今の自分に関係ないだろうことをいいことに、ちゃんと考えなかったんです。帰り道、よるべない気持ちで見上げた月のかたちを今でも覚えています。

娼館を舞台にした映画を見て、「男の願望ぶちこみすぎじゃろ」と思うことはよくありました(不幸な身の上の女性に対し、明るく美しくお色気いっぱいでおまけにタフでいろって!)(まあ男性陣が特に優遇されているわけじゃないし、タフじゃないと生きていけない世界なんだけど)。そこはテーマじゃないから目をつぶらなきゃな、と たのしく見てたけど、今後はどうかな。。。知らないほうがたのしくいられることはたくさんあるけれど、基本的に、ものごとは知っていたほうがいい。呑気に見える映画鑑賞の道も、ほんとはハードボイルド。