茂田井武展(こっそり画帳を囲む会) @ちひろ美術館

「(こっそり)画帳を囲む会」参加がてら、2度目の生誕百年展。夕方あたりが暗くなってから美術館へ入ったためか、前回とはすこし違ったこころの角度から鑑賞。すこし違う角度から見ても、展示室1(夢と記憶の破片)ではやっぱり溜息をもらし、展示室2(童心の画家)ではやっぱりぼうっと視界がかすむ。ピアノ、ラッパ、ゲックゲックウレシクテタマラナイ。こんなに無邪気でおおらかであたたかい絵の存在、わたしこそウレシクテタマラナイ。外の夕暮れとにじむ涙のせいでいっそうまぶしく見えるひかり。

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「(こっそり)画帳を囲む会」、概要というか説明:茂田井武が自分のため?に描いていた画帳が何冊かあるので、現存するものを少しづつ・いっしょに見ましょうという太っ腹な企画(in図書室。全4回。定員20名←すでに全回定員になっているため今からだとキャンセル待ちのみ)。今回の「退屈画帳」と「不精画帳」は、この展覧会に出品されているけれど、画帳という形式のため、見られるのはガラスケース越しに見開きで2ページだけ。これを、手袋をはめた学芸員さんがめくってゆくのです。
だいぶん経年があるデリケートなものなので、参加者は入場と同時にマスクを着用。本格的というかものものしいなと思ったら、広松さん(絵本研究家で茂田井武びじゅつかんの管理人さん)でさえ「肉眼で見るのは今日で2回目」だそうで。ひ ー。わたしなんかが参加していいのか(動揺)。今回はそんな貴重な回だからか、茂田井武研究家?の一人者山口卓三さん(JULLAから出た茂田井武全集や、トムズボックスのシリーズ刊行をされた方。神!どんだけ感謝しても感謝したりないよ)や、茂田井さんの次女の暦さんもいらしていました。ひー‥。
マスクをつけた人の群れが、固唾をのんでちいさな本を見つめる。新しいページが開かれるたびにちいさなざわめきがおこり、溜息がもれる。この日の2冊は、小栗虫太郎のおうちに下宿(居候?)していた時代(茂田井武27・8歳の頃)のもので、特に「退屈画帳」は16歳で夭折してしまった虫太郎さんのお嬢さんに捧げる意味合いもあったそうで(最後のページには位牌の絵が)、全体的に重いトーンで退廃的。重苦しいぶん、ときおりの輝きがひときわまぶしく感じるような。ページの変色に時代を感じつつ、絵の具の色がやけに鮮やかに残っているのが不思議だった。
(どちらの作品も、「記憶ノカケラ」で見ることが出来ます。広松さんは、わかりにくい作品が多いため&ページ数の関係であまり載せられなかった&印刷だとなかなかこの味わいを出せなくて‥とおっしゃっていたけれど、たしかに原画にはどうしてもどうやってもかなわないけれど、あの状態の絵をここまで綺麗に印刷できるのはすごいことだと思いました。印刷技術すごい!熱意がすごのか)
不思議な(?)縁を感じたのは、現在この画帳を所有している方は、小栗家とも茂田井家とも関係のない方だそう。どこかで買われたらしいのだけれど、買ったときにはそんなすごいものだと思わなかったそうで。このへんの経緯よくわからないけれど‥戦争とかいろいろあったものなあ‥。ああそうするといつの日か、ほかの画帳がひょっこり出てくる可能性もないわけじゃないのね。いろいろな可能性のなか、成り立っている今日だなあ。
貴重な画帳を囲めたこともだけれど*1茂田井武ファンの方がたに囲まれて濃い時間を過ごせたことがとてもしあわせと思った。あの、ページがめくられるときの集中力とワクワク感。マスクして大真面目。ひっそり濃密に愉快な時間でした。

*1:実のところ、ちいさなものを距離をもって囲むだけなので、空気感は味わえても、筆遣いなどまでは目が届かないのです。マニアックな集い‥