もやもや日記

夏の五輪開催のときの小山田くん炎上が、すごくいやで今もいやでとにかくいやで、せめて日記に残そうと思った。いやが積み上がりすぎて長文です。わたしだけが数年後に読めばいいと思っています。

7月。まず、五輪開催がいやでした。

いやだといっても開催されそうだったので、開催されてもテレビを見るのはやめようと思っていました。視聴率に貢献したくなかったのです。

だから、7月15日頃小山田氏が開会式の音楽担当をすると聞いて心が揺れた自分がいやでした。開会式を見たくなっちゃうじゃないですか。でも、見ないからね!と思いました。しかし、小山田くんてたびたび過去記事のことで炎上するけど、オリンピック大丈夫かね?と思った自分もいやでした。

 

その後の炎上もいやでした。

 

だって、数十年前の音楽雑誌(ROJ)・娯楽雑誌?悪趣味雑誌?(QJ)のインタビューですよ。信憑性あるんですか?雑誌のインタビューはプロモーション、面白おかしく脚色上等という時代でしたし、フリッパーズギターはインタビューで嘘や冗談をメインに語るひとたちでした。ただ、このROJの小山田くんのインタビューは、問題となった部分だけ浮いている印象と、問題となった部分が冗談だとしても面白くない、センスないんですよね。そんな冗談になんの需要があるのかな‥と戸惑い、当時コンタクトが取れた小山田くんの知人に真偽のほどをたずねた覚えがあります。だいぶ脚色されて閉口した・抗議もしたがとりあってもらえなかったという答えでした。でも、あんなインタビュー信じないでよ、だいたい排泄物をどうやって入手するの?そんなことしたら、問題になってそこ(その学校)にいられないでしょう!と、逆に、冗談が通じない奴‥みたいに言われていやだったので覚えています。

 

7月に話を戻して。バッシングのリツイートで目にする「小山田氏のいじめ」内容は、自分が読んだ元記事よりだいぶ改悪されているような気がしていやでした。排泄物を食べさせた・自慰強要、バックドロップ等、冗談として話しただろう部分が事実としてさらにパワーアップしていたけれど、(排泄物・自慰強要については否定を耳にしていたのでさておいて)小山田氏の体型から考えて、バックドロップとか不可能ですよね。不可能だから、冗談として成立したような。障碍者いじめというのもうなづきかねるけど、手元に雑誌がないため、30年近く前のことなので記憶がおぼろげなのかな‥そんなに悪質ではなかったと思うんけど‥とぼんやり途方に暮れるしかなくて、そんな自分もいやでした。

 

当時ラジオやツイッターでこのことについて、「昔から一部でささやかれていた有名な話です」と言うパーソナリティ・コメンテーターの人が居て。そのときはよくわからなかったのですが、アンチ渋谷系とでも言いたい人々が、いやがらせとして2ちゃんねるなどに投稿した悪意ある改編された文章が長い間ネットにくすぶっていて、それを目にしたことがある、ということだったらしいです。コメンテーターのニュースソースが2ちゃんねるって(絶句)。ウィキペディアも、タイミングによってはかなり悪意にみちた編集がされていたみたいです。自分が「小山田くんてたびたび炎上するよな」と感じていたのもこのカキコミがベースみたいでした。自分も悪意にとりこまれていたんだな、と思うと。情けないです。頼りないです。

 

7月19日に小山田氏が辞任を発表。これでバッシングを見なくて済む、オリンピック開会式を見なくて済む、とほっとしました。でもバッシングはやまなかった。

 

21日頃?ネットに、クイックジャパンのインタビュー全文が期間限定で開示されました。当時、QJを買っていないのは確かだけれど、友達の部屋で読んだかもしれないことをぼんやり思い出しつつ、「長いな」と思いながら読みました。

QJの「いじめ紀行」については、いろいろな考え方があると思います。今読むと小山田氏の無邪気さ?無防備さはぎょっとする部分もあるのですが、善悪紙一重の魅力ともとれます。垣根がないんですよね。そのためデリカシーに欠ける部分も感じるのですが、95年はおそらく世間のムードはこんなもの‥媒体がQJだったこともあり許容範囲。実際オリンピックのことがなかったらセーフだったわけだし‥だったのだと思います。また当時、雑誌は「一定期間書店に流通したのち消えていくもの」という認識で、その何十年後に掘り起こされることなど想定しておらず、ましてQJなんて大きい書店に行かなくては読めない雑誌だったし、そこを踏まえず批判されても「残念ながら的外れ」と思います。

また、いじめというものに対して真摯に取り組もうとするあまり、安直に善悪をジャッジすることを避けた結果、ただただ長文でぼんやりした記事になった感もあります。ぼんやりしたひたすらの長尺。今回インターネットに全文掲載されたけれど、ファン以外の人は、小山田氏の人柄や思考回路部分を飛ばして「で?いじめはやったの?やってないの?」という方向から読むだろうから、そこだけ読んで、「やっぱりいじめてる」になっちゃうんだと思います。90年代、雑誌はたっくさん出ていて、よほどのファンじゃないかぎり、こんな長い文章読まなかったんです。お金を出していないので読むすべも少なかったです。これはROJも同じです。

「いじめはダメ!絶対!」と臭い物に蓋をするだけでなく掘り下げて考えてみようとする試みはよかったと思うんだけど、構成の甘さがアダとなったか(この部分は編集サイドの責任です念のため)、数十年後にこんなことになるなんて。

 

今回、いじめのことで猛バッシングが起ったとき、自分は、「ああ、みんないじめについては当事者だから冷静になれないんだろうなあ。つらいなあ」と考えました。自分がいじめについて思い出すとき、傍観者としてとても居心地の悪かった気持ちがよみがえります(どうにかしていじめたりいじめられたりしなくてすむ場所にいたかった。いじめに参加しないで済むように、だけどいじめられっこに必要以上になつかれないように幼いなりに自分を許せるバランスで居たかった)。傍観者はどんなに胸を痛めたところで「いじめ加害者側」なのだけど、なるだけ加害にならないように頭を悩ませていたのです。

大人になってから学生時代をふりかえり、「自分の周りにはいじめなんてなくてラッキーでした」という人が一定数いたけど、わたしはそれを疑っていて。直接いじめたりいじめられたりはしなかったけれど、いじめ行為があるのに気づきつつ、気が付かないふりをして自分を守ってたんじゃないかな‥。傍観者だったことさえなかったことにするなんて、と暗い気持になりました(それは、いま現在のそのひとの振る舞いから透けて見えることもありました)(いじめの根の深さは、そこに居合わせただけで加害者になることがあることで、だから許してはいけないのだと自分は考えています)。大人になってからまでそのいじめを隠蔽したら、いじめられてた子の立場は‥(うーん、いじめられていたことなんてなかったことにしてもらったほうが気が楽なのかもとも思うけど‥。どうなんだろう‥)。

だから小山田氏が無防備に「小学生時代はいじめちゃっていたかもしれません。反省してます」と言ったのは、勇気ある発言だと思ってしまう部分もあります。自分のなかの加害性をみつめる。もしかしていいじめ紀行もそういうことをしたかったのかなあ。このへんは、人によっていろいろな考えがあるだろうから難しいです。ひとりひとりよく考えるしかありません。ただ、自分の周りにあったことを、当事者じゃない小山田氏に投影させるのは変な話です*1

 

「これ本当だったらやだなー」と東スポの真夜中の残虐ギター記事をリツイートする人(本当だとしたら、その病院の管理体制には問題がありますな、としか思わん)、「CDは捨てます」宣言する人、わざわざ加工したコラ画像リツイートする人、それを信じてはしゃぐ人‥。ちょっとした地獄絵図でした。ファンの人たちは相当傷ついたのではないでしょうか。

でも「いじめは絶惡!いじめた奴は社会的に死ね」とばかりにひたすらバッシングをする行為、これがいじめでなくてなんだというのか。こんなことを書くと加害者の被害者しぐさと言われちゃうんだろうか。すべての事柄を一件一件ちゃんと見てくれ‥。

この騒動はバカ発見器だったとでも思わないとやっていけないけど、周りはバカしかいないじゃん!と思う時、多数決でバカはこちらになってしまうんです。ほんとうにおそろしかったです。

 

みなさん冷静を失っていますね‥と思いました。自分は東京オリンピック開催に反対していたので、昨日の友がぜんぶ敵になってしまったような足元の頼りなさ。

 

小山田氏をかばいたいツイートをしたら右派と思しき、ユーザー名に日本国旗をいれてるかた複数にリツイートされたのも驚きました。リベラルとか左派とくくられるかたたちが敵になっても、右派が味方というわけではないんだよなあ。これもいやでした。

 

7月28日、8/11に発売予定だったMETAFIVEの新譜が発売中止になったというニュースが入りました。発売中止という判断はあまりに重く、chang.orgで中止撤回を訴える署名運動が呼びかけられましたが、同じchangで訴えられた「小山田氏を開会式スタッフから解任させたい署名」の1/10くらいしか集まらなかったようです。異常ですよね‥。ちなみに解任させたいchangの発起人は現在アカウントを消してしまっているらしいです。でも、おそらく。もともと小山田氏やコーネリアスの名前を知っていた人なんてほんの一部で。今回のオリンピックの流れで小山田氏を知った人のほうが大半なんでしょうね。だとしたら余計に大問題じゃないですか。呆然。

 

(以下8月)

8月になって、QJの当時の編集長の談話が発表されました。「いじめ紀行」がどういう経緯で生れたかの振り返りです。新人ライターの企画に、いやな顔をせず付き合ってくれてありがたい、小山田氏といじめられていた少年のあいだには一時期友情のような思いがあったように見えた、小山田氏の(笑)は自嘲の意味、みたいな内容だったと記憶しています。ファンであれば暗黙の認識だろうことで目新しい話ではないのですが(でもほっとさせられる内容でした)、アンチのかたには見苦しい言い訳とうつったようです。人は皆、見たいようにしか世界を見ない。知ってはいたけど。小山田氏を悪魔にまつりあげたい気持ちはどこから…?単に流されてバッシングしてしまった自分を正当化するためだったらどうしてくれよういやまじで。

 

ちなみにROJからのお詫び文は定型というかんじの素っ気ないものでした。

 

(以下9月)

9月16日発売の週刊文春に、小山田氏のインタビュー記事が載りました。

バッシングで殺害予告まであったこと、家に帰れずホテルを転々としたこと、7キロ体重が減ったこと、精神にダメージを受けカウンセリングに通っていること。そして謝罪。反省していること。

バッシングされた内容は事実と違うことが含まれていること、このことは辞任するときにも発言したけれど、具体的に相違点を聞いてくるメディアは今までなかったこと。今まで数十年気にはなっていたけれど、2ちゃんねる由来の実態の見えないものだったこともあり、訂正するタイミングをつかめず(2011年、NHKの「デザインあ」というEテレプログラムに関わるときに釈明はしたらしいですが)、今回のようなことになってしまったこと。

オリンピック開会式のスタッフメンバーに選ばれたいきさつも語られていたけれど、わりといきあたりばったりというか、なんともお粗末っぽい舞台裏で、一大プロジェクトのはずなのに‥?このインタビューでいちばんおおきな驚きはここかも。お金も一円ももらっていないとか頭が痛くなることばかりだし、この国はいろいろなこともう手遅れでダメなのでは、と心配になりました。

 

文春が発売された翌日(9/17)、コーネリアスのHPに謝罪文が掲載されました。謝罪文の中にもありましたが、謝罪するにあたり、自分の一方的な言い訳にならないように事前に文春のインタビューを受けたそうです。そういうきっかけがないと、ただ謝罪文を発表しても信じてもらえないのではという思惑が切なかったです。切ないながらも、これで禊は終わった‥。後は体調やメンタルが回復して音楽界に帰ってきてくれたらいいな。と思ったんだけど、これを読んで「あ、これで小山田氏復帰する気かよ。甘いんだよ」みたいな悪意を持っている人の文章を立て続けに目にして気持ちがどんより。いやでした。

 

謝罪文を読んで「真摯な文章に感動した」とコメントした教授が炎上してそれもいやでした。坂本さんの気持ちは坂本さんのものでしょう。第三者がどうしたいのか。

 

驚いたことに、このインタビューや謝罪文について、メディアではほとんど報道されませんでした。バッシングはおもしろおかしく時間をかけて報道したのに、謝罪・訂正をとりあげたものはほぼ皆無だったみたいです。唯一バイキング(テレビ番組)が取り上げたらしいですが、バッシングのときはのりのりだったのに、謝罪・訂正については「今更なにを。信じられる?」的な報道だったと聞きました。まあ見ていないのですが。

 

たぶん、オリンピックより前にネット経由で小山田氏のいじめ談を眼にした人で、それが悪意で懇意的に改悪された情報と思わず信じ込んでしまっている人がかなりの数いるみたいなんですよね。コメンテーター的な立場にいる人の中にもたくさん。フラットな頭で考えて、そういう情報をネットに書きこむのがアンチの悪意だと思い当たらないのだろうか。十年以上も信じてきてしまったから今更認識を変えられないのかしら。変えて、今すぐ。まあわたしがなにを書いたところで他人の思わくを変えることなんて出来ないだろうとわかってはいるけど。でも、知識人の知識のもとが2ちゃんねるって恥ずかしくないのかな。どこの誰が忘れても、わたしはずっと忘れないからね‥。ふつふつと憎悪の炎を燃やすわたくし。この炎で雑煮でもつくるか。

 

(以下11月)

11/12、METAFIVEの発売中止されていたアルバムが、7/26のライブ映像配信の特典として入手できるというお知らせがありました。発売中止といわれていたのでうれしい。けどこういうかたちのリリースということは、ほんとうに一般流通はなくなったということでしょうか。複雑な気持ち。配信チケットがぴあ経由だったので、海外の人は購入できないという問題もあるようです。配信されたライブは胸を痛めながら見てもほんとうにかっこよかったです。7/26って小山田氏が五輪スタッフを辞任したばかりでバッシングが最高潮にひどくて自宅に帰ることもままならなかったという時期なんだけど、しっかりしたギタープレイに、ほかのメンバーの信頼しあうような呼吸がなんともいえなくて。これはこれで記念碑のひとつにしたいライブ映像なのでいつの日か円盤化してほしいと思っています。今までMETAFIVEはCDだけ聞いてればいいやと思っていた自分も、「こんなかっこいいものがあるのに観に行かないのはどうかと思う」と考えを改めました。

 

このMETAFIVEの配信で小山田氏の名前が浮上したのがきっかけか、11月下旬からちらほらとまた無神経な小山田批判を目にすることが増えました*2。批判なら批判らしく事実確認をした上ですればいいのに、よく知らない・知る気もないことに言及したがるのは何故だろう。よく知らないことはどうしたって頓珍漢になるんだから、語らなければいいのに。知性とかデリカシーってそういうものだと思うんだけど。雑煮の火は絶えることがない。

 

11月下旬、久しぶりに会った同世代の知人に小山田くんの話を振ったら、誤報道を信じたままでした。謝罪文を出したこと・事実と違うことが報道されたことは知らなかった。たぶんツイッターをやっているのに。炎上は否が応でも目にはいるけど、その後のあれこれはわざわざさがさないとみつけられないものね‥。でも、自分だって、あまり興味がないことだったらそうだもんなあ。炎上当時から、もし小山田氏が謝罪するなら、ファンに向ってすればいいと思っていて、実際それはそうなったのだから、もういいとしても。

 

誤報道で小山田氏を追い詰めたメディアは誤報道だったことをきちんと報道してほしい。するべきでは。理想としては、炎上報道に使った時間と同じだけの時間を使って、興味ない人の目にもとまるよう。バッシングしていたコメンテーターの人は気まずいし恥ずかしいだろうけど、気まずくて恥ずかしいからこそ、次から慎重になるだろうし。

まあこんな理想は実現しなさそうだけど*3。せめて風向きが変わるようになにをしたらいいんだろう。ためいき。こんなかんじで年を越すのかな。

*1:あと、自分はいじめられっ子だった、というトラウマは運が悪くて気の毒だったと思うのだけど、知り合いだったらうんとねぎらいたい気持ちはあるけれど、ずっといじめられる側ではなかったと思うんですよね‥。一度いじめられたから次いじめられないように加害側に隠れたり、しがちじゃないですか。加害の記憶はノーカウントですか‥ってやっぱり暗い気持ちになっちゃいます。辞めた会社で男性上司の職場いじめを目にしたからかなあ。上司のすることだからって、みんな見て見ぬふりをしてたよ。見て見ぬふりは、加害だよ‥

*2:枕詞のように小山田氏の名前を使うのはやめてくれ。謝罪している人に何故

*3:爆笑問題の太田さんと新潮社のことわりと最近まで知らなくて。名誉棄損裁判自体知らなかったので特に興味がないことにはそんなものになるしかないのを改めて感じつつ。誤報道だったと認めつつ、謝罪広告は出したくないという理解でいいのかな。誤報道だったと認めているのに‥?うううよく知らないことに言及することに疑問を持ちつつ世の中わからないことだらけでどうしたらいいんだむずかしすぎる‥