脱俗の画家 横井弘三の生涯/飯沢匡

脱俗の画家―横井弘三の生涯 (1976年)

脱俗の画家―横井弘三の生涯 (1976年)

1月に行った素朴画の展覧会(→☆)で、心の琴線にふれまくりだった横井弘三の絵。画集などは出ていないようなので&人生もだいぶん奇異だったようで興味を引かれ、インターネットの古本屋さんで購入。文明ってすごいなー。すごいなー。わたしってめちゃくちゃ俗っぽいなー。なー。
俗っぽい人間だからこそ、脱俗の画家の絵に弱いのかしらん。好意的に読み始めるも、脱俗‥。言うはやすし行うは難し。たいていの人間が俗にあまんじるわけですよ‥。でも脱俗した横井さんにしても、俗な人間の好意で生活が成り立っていたわけだから、まあそうだ。それでいいのだ。とりあえず生半可な憧れは捨てた(脱俗後の暮しぶりがけっこう酷かったので憧れはふっとんだ。横井さんの妻、不憫‥)。
この本は、1976年発行当時、輝かしい経歴を持ちながら、時代の変動のなか埋もれてしまった横井弘三の再評価を求めるために書かれたものらしく。情報収集を呼びかける意味を兼ねての連載だったようで、フラットな立ち位置をこころがけるあまり、横井さんにとってはかなり辛らつな表現が多い。いや、ここが公平な立ち位置なんだろうなーということはわかるのだけど。あがめろなんて言わないけれど。それにしても辛らつ。笑う箇所じゃないよなーと思いつつ笑ってしまったけど。‥笑うしかなくない?飯沢匡のジャーナリズム精神。(横井弘三の著書からの引用が多いのだけど、文筆が本業ではないので、かなり難解な文章が多い。飯沢匡はそれに注釈してくれているのだけど、「後半は例によって大仰すぎて意味不明であるが、言わんとすることはわかる」とか、ナチュラルボーンつっこみ気質を全開。わたしが笑ったのは晩年の横井弘三の文章を引用したあとに、「この文章を読むと、かなり、ぼけて来ていることが判る」。なんて身も蓋もない‥!)
そんなわけで、あくまで公平に書かれたためにパンチが弱く‥。だから再評価の波も来なかったんじゃないかしら、なんて。とは言え、脱俗・横井弘三。絵画に賭ける熱い発言(ときに妄言‥?)や、あばれっぷり、発明家としての側面、仙人のような老成した姿(すごく素敵なお姿の写真も掲載)になる前の中年ギラギラ期(‥‥)、美人妻へののろけ話など、数々の逸話はさすがの綺羅星。今こそ再評価を‥と思いつつ‥。絵が残ってないんじゃあ評価もないわな。そういう意味で、戦争のこと、あらためて憎んだりして。
ちなみにわたしが一番「いい話‥!」と思ったエピソードは、あとがきで、谷内六郎が横井弘三の絵画世界の奥の深さに感心したというエピソード(ただの六郎ファン‥)。
(横井弘三の描いた絵も、紹介がてら、それなりに掲載。わたしが好きだなあと思う絵と、アクが強すぎてそうでもないわと思う比率は、半々くらいだった。ああやっぱり、もっと絵が見たい‥)