お金と時間とわたし


まだわたしが若く、希望に燃えていたころ(うそ)、女性誌のコスメ新製品レビューのコーナーで、“まるで7時間睡眠したあとのような肌になる美容液”というのが紹介されていた。それを読みながら、自分のなかで考えがまとまった。それは、「なにかについて、ふつう以上の能力を身につけたかったら、(1)ふつう以上にお金を使う (2)ふつう以上に時間を使う。どちらかしかない」、ということ。この場合、(1):高い美容液を買う (2):毎日7時間寝る。美容だってそうだし、お洒落だって、なにかの知識だって、たぶんそうだろうな、と思った(知識やセンスというものも、たいていの人は、お金と時間を支払って身に付けると思うので)。それ以来、自分はその件にはどちらで対処する(あるいどちらもしない)か、意識的に選ぶようになった。
それで今日。ふと、愛情もそうだなーと気付いた。映画のまえ、代々木公園のベンチにぼんやりすわったとき、ふいに*1。自分がどれだけ、お金と時間をそそげるかで、愛情の深さがはかれる(この場合のお金というのは、特に大金というわけではなくて、自分の自由になる金額に占めるパーセントでよい)。愛をお金ではかるなんて、と言われそうだけど(いや、お金じゃなくて時間でもいいと言ってるつもりだけど)、お金と時間のほかに、現代人がささげられるものってある?それにしても、愛というのが「捧げること」だなんて、なんだかあまりにも古風なわたしの出発点。うーむ、意外だ。

*1:自分の日記にあまりにお洒落記述がなく、でも実際、お洒落してないもんなー(好きな服を着るだけでいい。好きな服はわりと地味)、嘆きながらも、これからこうして映画館に向かうのさ、しかもうきうき向かうのさ、と思ったためか。はじめは映画が始まる前、渋谷だからカフェでなにか食べようか(マメヒコ。でもゆっくり味わう時間はないので却下。アンドナンドでドーナツ買って食べた)、夏物の洋服をながめようか(これは一軒だけ実行した。春先にわたしをまどわしたワンピースからは魔力が消えていた)、わくわくしてたのに。電車の窓から新緑を見たら、ウズウズと、公園に行こう!あそこは昆虫パラダイス!と気分がたかぶってしまったことへの言い訳というか(やっぱり映画館が好き)。まったくどうして自分はこうなんだろう‥。でも、五月の公園はいいな。薔薇も咲いていた←薔薇園のなかでわたしが一番好きだと思った、わたしにとっての「これぞ薔薇!」という形の薔薇の名前が「希望」というのもなんかよかった