篤姫あるいは鬼とわたし

ふだんあまりドラマを見ないわたしが今アツく見ているのは「篤姫*1。おもしろくなってきたよ!家定公とお篤がこころの距離を縮める様子は良質の少女漫画みたいでキュンキュンしちゃうよ。キュンキュンしてるよ。でも家定公は来週死んじゃうみたいだよ。そんなのいやだよ、どしたらいいの。「‥もう、見るの、やめよっか」。現在家族会議中。
先々週?の月曜日、ダイヤ編成により今まで座れた始発電車に座れなくなり、1週間様子を見たが今後座れる気配がなく、これからわたしはどうしたらいいのか、Mちゃんに相談したら。「毎朝鬼になるまでですよ‥!」と重々しく言われ。え?それってMちゃん「篤姫」見てるってこと?(前日の「篤姫」で、「鬼になりもうす‥!」と言うすごく良いシーンがあったのです) 一気に篤姫トークに花が咲いたのですが。惜しむらくはわたしが篤姫と家定のういういしいラブについて語りたかったのに、Mちゃんは鬼(政治)についてしか興味がなかったことです(そんなことって)。
でもまあ「鬼になりもうす‥!」のシーンが感動的だったのは事実。我が家でもあのシーンの原田泰造の役者魂をさんざん褒め称えました。そしてこのあいだ。Kが、悪さをしたものの良心の呵責に耐え兼ねて、「ごめんこのあいだこんなことしちゃいましたもーしません」(←プライバシー保護のためやわらかく表現してありますが、けっこうな悪事です)というメールを送ってきて、ムカーときたわたしが、これからはKのこと厳しくとりしまるよ!と思い「わしは鬼になりもうす!」と返信したら、すぐに、「ならばわたしは鬼の旦那になるまでのこと」(←これもドラマのなかから引用)と返信がきて。ムカムカ倍増。なに「篤姫ちょっといい話」みたいにしてるの!もっと反省しろ!おれ鬼になんかなりたくないっちゅうに。

*1:あと今日から始まった「Tomorrow〜陽はまたのぼる」も、緒川たまきが出てたので見る(決意)。たまちゃん美しすぎるんだけど。キレイだなー、キレイだなー。キレイすぎて、非情なインテリ役がいやみじゃないよ。カンノミホが怒っても、「愚民にはわからないのよ‥(ためいき)」 と すっかりたまちゃん洗脳モード。これでいいのか