ricohet2009-03-28

しばらく日記を書けないでいたけれど、とりあえずわたしは元気です。
(かなり暗い3月の記録。書かないとすすめないので書くけれど、わたし(と妹)以外は読まなくていいです)
母が急逝しました。事故死というか、うっかり死。とても母らしいと思います*1 。お葬式には母のお友達がたくさん来てくれました。母は、困ったひとだったけど、かなり許されて、いいつきあいをさせてもらっていたんだなあ。ありがたい。すこし誇らしいきもちになりました。
しかしまだ実感がありません。だってあまりに突然だったから。ここ数年、風邪ひとつひかずに暮らしていたのに。来月いっしょに歌舞伎を観に行く約束してたのに。いつまでも実感なんてなくて、ただ、慣れてゆくのかもしれません。
母の遺体を見たとき、母に話しかける母の友人の姿を見たとき*2、叔母からの手紙を読んだとき、葬儀のとき。何度も何度も泣いたのだけど、いちばん泣いたのは。葬儀が終わって日常に戻って数日後。「相棒」の新相棒が、ミッチーだと知ったとき。わたしは「相棒」、見てないのだけど(小説版を友人から借りて読んだことがあるので、なんとなくの雰囲気は把握しているつもり)。母から常にアツい思いを聞かされていたので(わたし、見てないって言ってるのに‥)、「ああ‥。新・相棒は、ミッチーなんだ。ミッチーに決まったんだ。ふふ、それちょっとおもしろそう。次のシリーズからわたしも相棒見ようかな‥。そしたらお母さんとも対等に話が出来るし」。ぼんやり考えたあと、「あ、お母さん、もういないんだ」。そう気付いたらぼろぼろ泣けてきて。「相棒(ミッチー)」で泣いてる自分が滑稽でおかしくて、すこし笑ったあと、涙がとまらなくて困りました。
そんなわけで。たのしみにしていた乙美の3月授業(最終授業)も、たのしみにしていた「銭ゲバオールナイト*3唐十郎*4の。前売り買ってたのに!)」*5も、転職の構想も、幻となりました(いろいろ鬱陶しい相談にのってくれたおともだちありがちょう)*6。でもこういう大事のときは、わたしは乙女うんぬんはどーでもいいんだとはっきりわかりました。残念ですが。まずは生きていて、笑う余裕があればそれでいい。美しさは、そのあとでいいです。まずは生きていて、笑う元気があること。はからずも、ここでも自分を痛感学びまくりの一ヶ月でした。
(書いておいてなんなんなのですが、この日の日記にコメントなどは、ご遠慮します。だいぶつ日常に戻ったとはいえ、今優しくされると泣いちゃうので。またいつかお願いしますね)

*1:さいきん、ものすごく母と自分の共通点について思い知らされることが多いので、気をつけたいと思います

*2:「わたし、○○さん(←母の名前)は、死なないと思ってた‥」(←聞いていてすこし吹いた)「○○さん、百歳まで生きるって言ってたのに‥!」(←聞いていて、びびった。あと34年も生きる計画を立てていたとは)

*3:映画版見れなかったのでドラマ「銭ゲバ」の最終回について書きますね。まいりましたね。あれ。理想(妄想)の生活ドラマが、つまらなくってまいりました。こんなぬるい話に誰がつきあうんじゃーと思った自分にまいりました。なんておそろしいドラマだったんでしょう。よだれの量もはんぱなかったし。これを土曜の9時台から放送しちゃってよかったんでしょうか‥。あと余談ながら柄本時生、映画「俺たちに明日はないッス」で「すげー顔だな」と一度衝撃を受けているにもかかわらず、このドラマでも、「うひー、すごい顔の俳優さんさがしてきたなー」とまた衝撃を受けてしまったことを白状します

*4:5月のヴェーラの緑魔子特集で上映しますように!念!!

*5:しかし我ながら、オールナイト銭ゲバ見たあと仮眠をとって乙美の授業(ゲストはミスターピュアと呼びたい松浦さん)に行こうとするって大冒涜じゃないかしらん。こんなこと企てるから、乙女の神様に破門されたんじゃ‥

*6:しかし仕事のあれこれと同じくらいの重さで、職場まわりの映画館事情で悩んでいたわたしっていったい‥。ほんとにね。自分がなにを大事にしたいか‥(仕事より余暇)