生誕260年 仙がい −禅とユーモア− @出光美術館

  
今年は、九州・博多聖福寺の第123世(および、再任して125世)の住職として、また、臨済宗の古月派を代表する名僧としても名高い仙がい(せんがい 1750―1837)の生誕260年にあたります。
日本最初の禅寺である聖福寺の伽藍を修復して多くの弟子を育て、また、禅の核心にいざなう手段としての絵画を、誰にでもわかりやすく、しかも笑いを交えながら数多く描いた仙がい。本展は、節目の年に、仙の業績を出光美術館に伝わる禅画コレクションを通して振り返る展覧会です。
仙がいは、その晩年に武士や商人、近所の顔なじみから子どもまで、あらゆる階層の人の求めに応じ、数多くの書画を残したことで知られています。これらの作品には禅の精神が流れていますが、けっして説教じみることなく、明るく機知に富み、あたたかみにあふれているところが特徴です。「画無法(がいがむほう 仙の絵には決まった法などない)」の精神にもとづいたきわめてユーモラスかつ自由奔放な作品は、斬新な表現や大胆なデフォルメにより、楽しく面白いと感じさせる不思議な魅力に満ち溢れています。特に、今回はそのような仙がいの作品を優しく見守った当時の博多っ子との交流のあともたどってみたいと思います。現代にも通じる禅の精神とその表現から滲み出てくるユーモアを、作品から感じ取っていただければ幸いです。(→HP


春にこの出光美術館を訪れたときに驚いたのは、ミュージアムショップにずらりと並ぶ水墨画キャラクターグッズ(と・そのときは思った)の群れ*1→☆)。なに!?これ。誰の絵?グッズ展開の充実はなに?戸惑いながらも出光美術館の情熱と水墨画のかわいさに負けてクリアファイルと絵葉書を購入したわたし。今回の展示はその水墨画の作者・仙がいさん(ほんとはがいの字は崖の上の山がぬけた漢字なんだけど、ネットだと出せない‥)(→☆)の生誕260年記念というのだから!(生誕260年‥。ハンパな記念年‥)出かけないわけにはいきません。
ときに豪胆でときにかろやかにその筆がえがくのは人間の愛らしさ。愚かささえも慈しむこころのゆとりはどこから生まれるのだろう。ほわほわとあたたかくこころが満たされ、頬がゆるみっぱなし。近来まれにみるピースフルな展示でした。すれちがうお客さんがみんな微笑んでいたのが印象的。これが禅の教えなら、わたし入信したいかも。
目玉の「布袋シリーズ」が特にとてもたのしかったしよかった。お月様を指差すシリーズがあるのだけれど、これは「指月布袋」といって、なかなか悟りの核心を手にすることは出来ない‥という意味らしいのだけど。絵のなかの布袋さまは、「なかなか手にはいらない。だからたのしいね」と達観ではなく屈託なく笑っているのです(を月様 幾ツ 十三七ツ)。頼もしい‥!
ちょうど列品解説の時間にあたったのだけど、解説してくれる人が「仙がいさんは−・・・」と「仙がいさん」と親しみをこめて呼んでいるのが遠くから聞こえて、それもほほえましさを加速させていた。ピース。

*1:Tシャツまである‥。欲しくなってしまうから不思議