茂田井武生誕100年記念トークショー @池袋ジュンク堂

〜 『父・茂田井武のことなど』 後藤暦 × 聞き手 大村祐子 〜
生誕百年目を記念して、茂田井家の次女・暦さんに、お父さんの思い出を語っていただくトークショー。聞き手の大村さんは、JULA出版局(「茂田井武画集1946→1948」「古い旅の絵本」出版)代表の方。
娘の語る父親というのが、いちばんスィートな人物像かもしれない。でもそれを差し引いても実に愛情あふれるお話ばかりで、こみあげる涙とたたかうのがたいへんだった。
(長いのでたたみます)

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泉さんの記憶のなかでは、お父さんといえば病気、だったそう。つねにお部屋にお布団をしいたうえで、具合がわるいときには寝た体勢で絵を描かれていたとか。「でも、覚えている父の顔は、おどけたようなひょうきんな、男親としての表情ばかりなんですよ。たのしい父でした」。
父が亡くなったとき、わたしは7歳だったんですけど。今考えると、7歳にしてもずいぶん幼いほうではなかったかと思います。臨終の席でも、事態をまったく把握してなくて。いろんな人がバタバタやってくるから、「これからなんのおまつりが始まるの?」なんてワクワクしちゃって。今でも兄に、「暦はあのとき笑ってた」なんて言われますもの。臨終の瞬間のことも覚えてないですね。皆で「お父さん」て名前を呼ばされて‥ 母が泣き出して、ようやく、これはただごとではないなっていうのがわかって。‥母が泣くのを見るのははじめてだったものですから。‥それでしばらくは覚えてないんですけど、その夜、仮通夜が始まったんですね。童画会の方、どなただかまではわからないんですけど、背広を来たおじさんが、もう、ほんとに泣いてしまって。泣きながら、わたしに、「あなたのお父さんはほんとにすごい人なんだよ」とおっしゃってくだすって‥。でも わたし、大人の男の人が泣く姿を見るのもはじめてだったものですから、こわくてびっくりしてしまって。‥いろんなことがあって記憶が断片的なんですよね。この夜覚えていることはこれくらいです。たぶん、幼すぎたわたしは、そのあとしばらく近所のおうちにごやっかいになったんだと思います。ずっとイイナアと思っていた二段ベッドに寝かせてもらってうれしかったことを覚えていますから。
それで、今まで何度か画集を出しているんですけど。1度目に出た「茂田井武画集」(日本童画会:1960年発行)は、本としてはとてもよいものを作っていただいたと感謝しているんですけれど、あの、‥。日本童画会の有志の方が作ってくださって、みなさん、童画会ですから、絵描きの集団なんですね。‥ひとりでも事務の得意な方がいてくだすったらよかったんですけど、皆さん絵描きの方で‥。資金を回収するということを考えてなかったようで*1。いろんな方にお送りしたんですけど、お金のことをなにも書かなかったもので、皆さん献本だと思われたようで、ぜんぜんお金がかえってこなかったらしいんですね。中心でやってくださった方のなかには、家中差し押さえになってしまった方もいらっしゃるとか‥。当時はわたしはまだ子供だったもので、あまりよく、そういう事情がわかってはいなかったんですけど。母もこの本のことは感謝しながらもあとあとまで、申し訳なくてしょうがない、ってつらそうで‥。ええ、この本は、一般の書店には出回らなかったんですけど。しばらくして古本屋さんにでまわるようになって、それを目にとめてくださる方が出てきて。ええ、その方たちの反響で「茂田井武の世界」(すばる書房:1976年)などが出て‥。
ええ、このへん(「茂田井武画集1946→1948」出版)のことは、山口さんと伊藤さん、このお二人のおかげですのでほんとうに感謝しています。伊藤さんは残念ながら、今年の百年目の展覧会のまえにお亡くなりになってしまったのですけど‥。お見舞いに行ったとき、「幽霊になって観に行くから心配しないで」なんておっしゃって‥*2
わたし、今回の展覧会で飾られている、「ピアノ、ラッパ、ゲックゲックウレシクテタマラナイ」の絵が大好きなんですけど‥。たぶん、この絵を描きながら、父も子供にかえっていたんでしょうね。そう思います。
父は、好きなことをして、好きなように病気をして*3、好きなように死んでしまって。そのぶん母が苦労をしたような、そんなふうに思っていたんですけどね。昔の日記などを読むと、ふたりにはしあわせな新婚時代があり、‥しあわせだったのだなあと思いますね、二人は。母の親戚などは、「あの子は武家の奥方みたいに生真面目すぎるところがあったから。武さんみたいな人といっしょになってよかったんじゃない」なんて言ってましたね。父はあの、面白がりの人でしたから。
新しいものに興味津々でおもしろがりの父は、当時うちには、父の病人食のためにミキサーがあったんですけど、ミキサーでおかしなものをこしらえるのが好きで。ある日、黒豆をミキサーにかけることを思いついて‥。もう、そんなの、やらなくても美味しくなさそうってわかるじゃないですか*4。母も姉も兄も、みんなしてとめるんですけど、思いついたらやってみたくてたまらないんでしょうね。なんだかドロリとしたものを作って、ひとくち食べて「おいしい!」て言うんですけど‥ そんなの。美味しいわけないじゃないですか。誰も食べたがらないんですよ。姉も兄も、そんなのいらない、って。わたしも食べたくないんですけど、それはお父さんかわいそうだなあって思って、チョーダイ、なんて言って‥。よくそんなお相伴してましたね。ふふ。美味しくはなかったですよ

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ほんとに素敵なおはなしで、聞いた胸に花が咲くようだと思いました。
このあいだの「こっそり画帳」のときに、わたしのよう新参者が参加しちゃっていいんだろうか‥とどぎまぎしてしまったのだけど。今日は、こうして、時代をさかのぼって(?)茂田井武の絵にであって、とてもだいじに思う者の存在を、ずっと活動していた方たちに知っていただきたいなあ、いただくべきではないかと思いました。好きと思うしか出来ないなら(出来ないからこそ)、それをするしかないのだもの*5。今日は素敵なおはなしをありがとうございました、と頭をさげて会場をあとにしました。

*1:たしかに、この本の、どこにも値段が書いていないのを不思議だなーと思っていましたよ‥

*2:ここですごい泣きそうになった。たぶん幽霊になって見に来てくれてるよ。あの世から長期休暇とってちひろ美術館に寝泊りしてるかも

*3:お酒と、喘息だったのに煙草をやめなかったことなど。←でもわたし男性が煙草の煙をくゆらせた姿とか好きですけどね。でもこれも父の影響なんでしょうね:泉さん談。うふふ、茂田井さん、煙をくゆらせている素敵なお写真残っていますものね:大村さん談

*4:と・言われたけれど、黒豆・ミキサーってお汁粉の変形みたいなものでは?そんなにひどい食べ物でもないんじゃないかなあ

*5:いつかこの思いがすこしでもかたちになって、「懐古食物」(←茂田井さんによる御馳走手帖のようなもの)が書籍にならないかな‥(願)