アンジーは私の理想の男性だった! 〜ヤマザキマリ「はみだしっ子」を語る〜 @明治大学駿河台キャンパス リバティタワー

〜没後20年展〜 三原順復活祭HP
三原順復活祭は5/31まで。若干変則的な日程ですが(火〜木は祝日のぞき休館、土・日・祝日は12:00〜18:00、月・金は14:00〜20:00)、興味ある方は足を運ばないともったいないです‥!わたしは勿論4回通わせてもらうつもりです、押忍!

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はみだしっ子大好きで、アンジーがいちばん好きだったわたしですが、「アンジーは理想の男性」と言われてしまうとひるみます。ヤマザキさんはわたしより年上だから「はみだしっ子」を読みながらそういうラブ的な心が生まれたのかしらん? 今回このトークショーが非常に気になりながらも「ん?」と思った箇所がここ(「アンジーは私の理想の男性だった!」というタイトル)だったので、熱いアンジー論の結びに、「理想の男性というか理想の人間像ってことですね」の一言があり、イヨーに腑に落ちました。なにこの熱い感想。
でも実際この日は260人入る大型教室が一杯になり、立ち見が出る盛況で、物理的に暑かったのです。来場者の8割くらい?がリアル世代とお見受けしたのも熱かった。

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ヤマザキさんのアンジー論。4人の中で一番客観的。男性的なマッチョな面と女性的なたくましさを併せ持つ。(ヤマザキさんが色気を感じるものに、「男性が女性的な強さを見せたとき」「女性が男性的な強さを見せたとき」というのがあり、その原点がアンジーではないかという分析もあり)
語り部的な役割と、問題に対処していくパワーを持っている。作者の三原先生が自分を投影させたのがアンジーではないか*1
唯一のマルチタスク型。親との関係も(あの中では)良好でー・・確かにつらいことではあるけれど、自分が大人になったときに親の立場を理解できるのはアンジーくらいじゃないかしら・・別に恵まれてるってわけじゃなくて、本人は片足が動かないとか深刻な問題を抱えているんだけど、皆が自分の問題で手一杯ななか、他人に手をさしのべられるのはそういう背景があるのではないか。・・音痴なのはいい。欠点がないと完璧すぎちゃうから。あれくらいダメなところがなくちゃ可愛げがない。・・服の趣味もどうかしてるけど。ピンクか薄い紫のフリル・レースのシャツって。ああでもそれが似合ってるんでいいんですけど。「理想の男性」というか「理想の人物像」のひとつです。自分の基準のひとつになってます。

アンジーといえば「アハン」ということで、ヤマザキさんは「アハッ」と「アハン」の違いについて研究?してらっしゃいました。いわく、「アハッ」が反射的であるのに対し、「アハン」には“ため”があり余裕が感じられるとのこと。言われて気にして読んでみたらたしかに!そのとおりでした。せつない。「今まで漫画でアハンが出てくるときってエッチなシーンだったじゃないですか。アハンを子供が日常的に使うっていうのは衝撃でした」。ちなみにアンジーファンとしても、アンジーが「アハン」て言うことについては気恥ずかしい思いを持っていたとのこと。わかる(即答)。でも、そのはずかしめ、もとい痛み分けが愛を増幅させているのだと思います。本気と書いて、まじでそう思います。ええ。

ヤマザキさんが「ああっその頃(小4?5?)のことで恥ずかしいこと思い出しちゃった‥」「なに?友達と、はみだしっ子名で呼び合ってたこと?」「いや、今はそれはおいておいて‥(このへん詳しくは、「〜同級生から「アンジー!」と呼ばれ、夢とファンタジーに生きる小3でした〜」『総特集 三原順 少女マンガ界のはみだしっ子)』をお読みください)。はみだしっ子とは関係ない劇をやったときに、わたし男役だったんだけど、男役なのにフリルのブラウス着て(劇に)出たのよね‥」 。(わたしの脳内補足。うわぁぁ普段の女子生活では着ないフリルブラウスを!男性役のときに発動!それは(理想の?)男性イコールアンジーってことですねわかります(即答)、恥ずかしい!!でも!さっきも思ったけど、恥ずかしさの痛み分けが愛を深めるから!)

「恥ずかしいことって口に出しちゃえば恥ずかしくなくなるかと思ったけど、口に出しても恥ずかしいものは恥ずかしいのね‥!」うなだれるヤマザキさんが非常に可愛らしかったことも日記には書いておきましょう。(脳内BGMは、ニーネの「はなそうぜ!」)*2

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前々から思っていたのだけど、アンジー派の自分から見ると、グレアムって、アンジーにさびしい思いをさせる朴念仁にうつるんですよ。それでアンジー派は、つい、グレアムに対する風当たりが強くなっちゃう気がするのですが。
「男性にはグレアム派が多いそうですよ」「えーそうなの?なんでなんだろ」「あ、でもNさん(共通の知人の方らしいです)はアンジー派で、アンジーの台詞を声に出して読んでたらしいよ」(〜会場内に声にならない悲鳴広がる〜)「あ!でもでもNさんはとってもよい人です!ねぇ。うんうん」。

ちなみに会場を出たとき、後ろにいた男性が、「‥だってアンジーは完璧すぎるじゃん。だからグレアムを応援するんだよ‥」的なことを言っていて、その話もっと聞かせてよって思った。
さらにちなみに一緒にいた友達はそれを聞いて、「はみだしっ子を熱く読む男ってどうなの」とけんもほろろだった。自分だってはみだしっ子を熱く読んでた女のくせに。なんで!いい漫画だよ!?と思いながら、たしかにわたしのなかのクールポコが、「男は黙って!ヤンキー漫画!」と餅をついているわ‥。がんばれはみだしっ男子。(ちなみにわたしのなかのクールポコは、「女は黙って!集英社まで!」と餅をついている。ぼくらこれから強く生きていこう)

(あ、今日のトークショーで、当時の「花とゆめ」はこども向け?低年齢層の漫画雑誌を目指していたため路線が独自で、はみだしっ子もだからこどもが主人公なのだと聞いてひたすらたまげました。「りぼん」(または「なかよし」)を卒業した層が「別マ」か「白泉社」かどちらかに進むのかと、むしろ高学年向けだと思っていたから)

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ヤマザキさんのはみだしっ子論。「はみだしっ子」は駄目な大人カタログ。精神を病んだ大人がこんなに出てくる漫画って他にあるかしら。子供の頃は、「こどもになんてもの読ませるんだ」って思いながら読んだりしていたけれど、世の中って実際ちっとも完璧なんかじゃない。読み直してすごいと思ったのは、徹底してリアルな世界観。伏線のはりかたにしても、お金の出どころにしても(お金についてはけっこう早い段階で、グレアムが伯父さんに送金してもらっていることが説明されてます)。当時は気がつかなかったけど、リアルが底にあるものだから夢中になれた。こどもはこども向きに描かれた世界には興味がない。ただ、ほんとに容赦がない(笑)。

主人公が4人いるから、4人の視点で語られるから世界に説得力と厚みがある。人間ダイスキ!って作者じゃないけれど話の底に信頼や希望が。漫画でしか描けない世界であるのと同時に、漫画で文学・哲学・心理学を実践していた。
画力もおそろしくて(「雪」の書き分けが出来ている!)、晩年の作品はジャンル分類不可。北海道出身の三原先生に対して、昭和の北海道ではほんとうに「この雪で死んでしまうかも」と思わせられることが日常的にあり、北海道では人間至上主義の作品は生まれないなど興味深い分析もあり。ヤマザキさんの考える「海外に理解させにくい日本漫画」が「つげ義春」「高野文子」「三原順」というのも興味深かった。

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とにかく興味深いお話を軽妙にかつハンサム(ときに可愛らしく)に展開してくださって感謝です。おかげで重い腰をあげて「はみだしっ子」を再読できました*3 *4。万歳!万歳!万歳!

*1:ああでも、三原先生はサーニンがお気に入りだったんじゃないかしら。サーニンの描き方に一番愛を感じる!あと。ご自分の似顔絵がサーニンぽい(笑)。実際、アンジーみたいな男の人ってまずこの世にはいないんだけど、いたところでひねすぎて太刀打ち出来ないだろうから、狙うなら(?)サーニン!〜〜みたいなきゃっきゃした女子トークもおもしろかったこと日記には書いておこう←龍角散

*2:♪ 話そう もっと話そう(略)はずかしがってるんだろ そりゃわかるぜ 聞いてるほうもはずかしいんだぜ (略)話そうとしてる君はとってもかわいいぜ ♪

*3:長い間友人(この日一緒にトークショーにでかけた)に、「つれて行かれるから(再読は)やめなさい」とたしなめられていた。この友人も、「つれて行かれそうになってもこのトークショーを思い出したら帰ってこれそうで安心」と言っていたのでほんとうにありがとうございます

*4:ひさしぶりに読んだら、マックスの生命力にうちのめされました。マックスの役割って、マスコットキャラというか、みそっかすというか、若干女性性あるじゃないですか。だから現役女子意識が強かったときはマックスに対して優しい目を持てなかったような気がします。猛反省。マックス、いい子だよー(嗚咽)