いのちについて考える @産業商工会館 

講演 〜豊で複雑な僕らの世界〜 講師 森達也
上映 〜私達の生活の中にある矛盾〜 「1999年のよだかの星」・「放送禁止歌

このあいだ森さんの、「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」を読んで(→☆)。いろいろ感想はあったのだけれど、まず、「ブックオフで買ってごめんなさい。“A”も“A2”も未見でごめんなさい」と反省しました。早急に“A”観なきゃ。そう思い森さんのHPを見て、この日講演&過去作品の上映会が行われることを知り。いざ阿佐ヶ谷。産業商工会館ってどこだろう?行ったことないので心細かったのだけど、パンダ珈琲(喫茶店)のすぐそばだった。すぐそこにあるのに。意識するまで気付けない。なんだか暗示的。

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主催が「大地とつながる母の会」ということで(?)、会場は若い女性が多かった(託児所付きなので子供も多かった)。大学生風の若者も多かった。阿佐ヶ谷だから?ひるまずに来てよかった。
まずは講演。「今までに僕の話を聞きに来てくれた方、どれくらいいますか?‥‥。ああ、微妙‥。けっこう居ますね。僕の話って、重複が多いんですよ。今日も、以前話したのと同じことを話すことになると思うので、前に聞いてくれた人には申しわけないな。全員がはじめての方だったら、しらんぷりして堂々と話そうと思っていたんだけど」「僕の本のあとがきって、ほんとにほとんどいつも同じなんですよね。‥ネットとかのレビューでもよく指摘されてるんだけど。“同じことばかり書いている”って。でも、仕方ないんだよね。同じ人が書いているんだから。テーマだってそんなにたくさんないし。言いたいのは“視点をかえると違うものが見えてくる”ってことだけだし」(※すべて脳内記憶で書いているため意訳です)。
職務質問はたいてい任意だから、時間がないときは断ってもイインダヨ、とか、カッターを持っているだけで銃刀法(?)違反に該当しちゃうから気を付けて、とか生活レベルで『ためになる話』もテンコ盛り。“前日キャンプに行った息子が中学校にナイフを持っていってしまい学校でオオゴトになり、警察からアンケートを依頼され。「最近読んだ本」ってなにを書けばセーフなの?と弱気になる夫に、「ええいいっそバトルロワイヤルと書きなさい!」とキレる奥さん”の話がおかしかった(森さんのおうちではなく知人のお話だそうです)。おかしいけれど笑わなければやっていけないけれど、笑い事ではないんだよなあ。
「子供さんの教育でこころがけていることはなんですか?」という質問に、「本を読む人になってほしい。本に没頭する時間てしあわせな時間だから」「ほかには特にないけど‥。娘が自分のことを“うち”と言いだしたときはやめさせた。ちゃんと“わたし”って言いなさいって。関西弁の“うち”とは意味がちがうでしょ」みたいな言葉が印象的だった。本は、単純にたのしい娯楽だし、月並みだけど、想像力がうまれると思う。あと、わたしも人称が集団になることにはすごく、居心地の悪さを感じる。「世間が許さないでしょ」とか「みんなそうでしょ」という発言は、つねに脳内で、「アナタが許さないんでしょ」「アナタはそうなのね」と注釈をいれることにしている。人の悪口を言う時に「みんな言ってるよ」と枕詞をつける人ってイライラする。保険をかけて悪口言うなよって思う。自分の発言と意識したほうが、失言も減るし。話がそれた。民意になること。人称がぼやけて、責任があやふやになること。漠然とした不安と恐怖が、攻撃対象をつくりあげる。民意。このおそろしいもの。そろそろ導入される陪審員制度は、一般市民が死刑に関する裁判に携わるのは、実は世界でも初の試みであること。一般市民が陪審員になったら‥。犯罪を犯す人は外見に気を配ったほうがいいですね、などなど*1
VTRや質問コーナー含めて2時間くらいでトーク終了(予定時間大幅におした。ありがたや)。落ち着いた声で話される森さんのたたずまいが印象的でした。

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休憩をはさんでVTR。上映されたのは、1999年のNONFIXから、「1999年のよだかの星」と「放送禁止歌〜歌っているのは誰? 規制しているのは誰?〜」。NONFIXは、具体的なスポンサーがいないこと(CMは広告代理店がとりしきっている?このへんのシステムよくわからない)、当時は深夜3時くらいからの放送だったためTV局の偉い人の目に触れることが無かったことなどから、好きなことを自由にやれるガス抜き的番組として機能していたとか。‥フジテレビも豪気だな。
「1999年のよだかの星」は、動物実験に関するドキュメント。化粧品・食品。医薬品を始め、わたしたちの生活は、動物実験なくしては一日たりとも成り立たないという事実。ヘビー。「知ったからといってすぐになにができるわけではないけれど、まず、知ることから始めないと」。たしかにそうだけど‥。知ったからといってなにも出来ないことに絶望してかたくなになる人もいそう。ギロチン‥*2
放送禁止歌」は、放送禁止指定は絶対なものだと考えていたけれど、調べてゆくうちに明確なしばりはどこにもなかったということがわかる、衝撃的な一篇。タブーだと思い、考えること・調べることをやめてしまったため、長らくそのままで放置されていたという。なんだソレ、と思いながら、その感覚、実はよくわかる。「ちびくろさんぼ」のなにが悪いの?不満を訴えても、「傷つく人がいる」と諭されたら、傷つくななんて言えないもの。やめておくかってなっちゃうもの。なんて思っていたら、「規制したのは、あなたもですよね」的テロップ。ガーン。ああでも実際そうなのだ。わたしだって社会の一員なんだもの。
森さんのドキュメントは、高みの見物を許してくれない。一人称で投げかけてくるから、一人称でとらえなければならないのだ。厄介な娯楽よね、と思いながら、・・・娯楽なのか?たしかに興味深くスリリングて手に汗にぎる展開だけれど。娯楽‥。厄介だよなと思いながら、会場を後にした。

*1:笑いごとじゃなくて、ほんとに大事になると思う。コワイナー

*2:薬剤で殺めると血液成分が微量にかわるため、ギロチンで絶命させる実験もあるのだそうです。そのおかげで人間社会は成り立っているのです。むう