楳図かずおトーク&トーク! 〜中央線を語る〜 @阿佐ヶ谷ロフトA

「中央線文化の復権」を謳う阿佐ヶ谷ロフトで、 楳図かずお先生のトークライブが満を持して開催!
吉祥寺に活動拠点を構える先生の中央線エピソードやおすすめスポットなどについて、たっぷり語って頂きます!!
司会は、非常に中央線と縁の深い木原浩勝さん!そしてゲストには、同じく吉祥寺を拠点に活動するイラストレーターのキン・シオタニさんをお迎えします!
阿佐ヶ谷ロフトならではのユル〜い空間で、どんな話が飛び出すか……是非ご期待ください!!

(イベントの宣伝文、ビックリマーク使い過ぎ)

中央線を語るということで、生活に根ざした・プライベートなお話がいっぱいでうれしかった。プライベートには人柄がでるので。気をぬくと中央線を出て・マダガスカルの話になっちゃうのもご愛嬌。
楳図先生、木原さん、キンさん。この3人の組み合わせはハジメテだったのだけど(楳図先生と木原さんのコンビは楳図ファンにはすでに定着)、楳図先生の大雑把な把握(あそこにある喫茶店)をキンさんがこまかく説明して(店名やおすすめメニュウ・珈琲一杯の値段など)それを木原さんがまとめるというすばらしいコンビネーション。トークショーの終わりに木原さんが「この3人のトークを定例にするっていうのはどうですか?」と聞くと「やってもいいけど、しょっちゅうだとだれちゃうから、年に一度くらいなら」冷静かつ謙虚な楳図先生。ファンとしては、これが年に一度やってきたらすっごくうれしいんだけどなー。

トークショー印象的だったところを喜怒哀楽に分けて覚書き。
【喜】 
中野から吉祥寺くらいなら基本歩いちゃうという楳図先生。わたしも一度歩いたことあるんだけど、夏のせいか蜃気楼が見えたよ。それはさておきそんなとき、途中高円寺でみんな大好きあの喫茶店でひとやすみするらしく(「え?あそこ寄ると遠回りじゃないですか?(木)」「うん、遠回りっていうか、急いでないから(楳)」)。外から店内の様子を見て、混んでそうだったらドアを開けないというなんとスマートな作法。いつかあの喫茶店でご一緒できたらその思い出を家宝にしますよ。(わたしはその喫茶店のファンなので、楳図先生の口から名前が聞けて喜ばしいでした)
キンさんは昔10年くらい井の頭公園で絵を(絵葉書を?)売っていたらしいのだけどだいたい10日に一度の割合で公園内で楳図先生の姿を見ることがあって、そんな日は絵が(絵葉書が?)いつもより売れたんだそうです。ラッキー楳図(敬称略)‥。或る日、公園内で楳図先生と故高田渡氏の姿を同時に見て、高田さんを見たときもいつもより売れるっていうジンクスを持っていたので、おお、今日はものっすごく売れるぞう!ってどきどきして二人がすれ違うのを見守ったんだけど、結果はいつもより全然売れなくて。ラッキーとラッキーがお互いを消しあっちゃったのかな。まあ、絵が売れるよりいいものを見たんでいいんですけど(談)。(これは、すれ違うふたりを想像して神々しいでした)
【怒】
押しに弱い楳図先生。当時の担当編集者にすすめられるまま中央線の果ての某所に別荘を買ってしまったり、海外にも‥買ってしまったり(ここに行ったのは二度だけだそうです)。まあ税金対策にでっかい買い物しろって言われるんだろうけど‥。最近ではつい先日強い押しに負けてコピー機を買ってしまったのだそう。 「それって相手が楳図先生だってわかってセールスしてくるんですか?しかもコピー機ってもう要らないじゃないですか(木)」「そうなんだよ〜コピー機比較的新しいの持ってるのに。もう。よーし、もうあいつに何を薦められても買わないぞー!(楳)」。わたし思ったのだけど、楳図先生がもうっとか言ってるあいだ、ファンのわたしたちは「なんたることだ」って憤慨してますからね。わたしたちの憤慨の念は、そのセールスマンになにかしらの負をおわせるんじゃないかなあ。ちょっと心配。
何軒かお気に入りだったのに行かなくなってしまった喫茶店というのがあり、行かなくなってしまった原因はデリカシーを持たずに話しかけてくるお客さんの存在らしく。たぶん、好きだから話しかけているのだろうのに、好きな人をいやな気持にさせて気付かないなんて。哀しいより怒りにカウントするのは自分がそうならないように戒めをこめて。
【哀】
この日はちょっと前に転んでしまったとかでお顔の絆創膏が痛々しかった。「転んで顔が腫れたんだけど、鏡を見てこのくらいふくらんでるほうがいいぞ?とか思って」。お茶目だけれど転倒こわい。気をつけてください。(これ後日10月の楳図カーニバルで、この転倒がもとで血流が悪くなり入院することになったと知ってわたしの血流も止まるかと思うほどびっくりしたのですが。でもそんなことからたくましく復帰してくださって「さすがですッ」と頭を下げました。いやほんとご無事でなにより)
【楽】
キンさんはそんな風(【喜】の続き)に楳図先生を意識しつつ、話しかけるわけでもなく日々は過ぎゆき。キンさんがビームスのビルで何度か個展を開くうちビームスのスタッフさんと仲良くなり、スタッフさんがビームスから衣服をプロデュース?している楳図先生にTシャツをプレゼントしたがっているのを耳にして(?赤白ボーダー楳図モデルのことか?) 、ううむ、話しかけてみたいなあと日々思っていた或る日、中央線の某駅ビルのコーヒーショップでたまたまキンさんの隣に楳図先生が座り(!)まさに期は熟せり。いまこそ話しかけるとき!とファーストコンタクトを取ったのだそうです。
「おお!そうしたら先生はなんて?(木)」「きもちはうれしいのですがひとには好みがあるからーって(キ)」「うわ、やんわり断られてるじゃないですか!(木)」「まあそうなんですけど、ビームスの、ってもう一度説明したら、「あ、ボクもビームスからTシャツ出してます!」って打ち解けてくださって(キ)」。むむむ壮大にいい話。

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【ホームタウン吉祥寺について】
なぜここに住むことにしたのかというと、都会的な部分と田舎的な部分のミックスが好きだったのと、なにか災害があったときに山手線の外のほうがいいだろうと思って。(よっサバイバル野郎!)(茶化していますが危機管理は大事なのだと思います。きっと)(今の吉祥寺は都会のバランスが強すぎるので田舎の復権を望んでいるとのこと)(関係ないけど「立川や八王子はもう山梨!」の名言いただきました)
吉祥寺の飲食店は、とりあえず一度は入るそうで、同じ吉祥寺の住人キンさんによると、「どの店も楳図先生がよく来てくれる」って言うんですよ。とのこと)あ、あと吉祥寺には当時珍しかった自然食のお店が数軒あったのも吉祥寺に住む理由だったそうー(たしか大島弓子先生もこのこと言ってた。ビバ吉祥寺) 。今の吉祥寺はラーメン屋が多すぎ!と主張する楳図先生。先生ラーメンはお嫌いなんですか?だからスマートなのかなと言う木原さんに、「う〜ん、栄養がかたよるのがイヤだから、一度食べたら次の1週間まで食べないようにしてるんだよね。だから同じ料理のお店がたくさんあっても困るの」 。ん?これは、たとえば豚肉料理を一度食べたら次の週まで豚肉料理はとらないとかそういうかんじ。あと、外食を続けていると食べられなくなる種のものが出来るから簡単なお漬物などは自作なさるそう。さすがすぎるな‥! (ここではなかったんだけど、会場になったロフトAの近くに年中麩饅頭を扱っている和菓子屋さんがあることを発見して「このあいだテレビで見たんだけど、コラーゲンて、ただコラーゲンだけを採ってもうまく体に入らないんだって。お麩のなかのなんとかっていう成分と一緒に採らなきゃいけないんだって。で、麩饅頭って初夏の一時期だけしか扱ってないお店が多くて、ああやって長い間売ってるお店を探していたんだ。ここに来ればいいんだね♪」先生の探究心には頭がさがります‥! )
散歩というかとにかく歩く楳図先生。歩きながら構成を練ったりするためには無心に歩けるルートが必要で、昔はけっこうそういう道があったようなのですが今はどこを歩いていても自転車が来るからこわいねと。大昔、上京する前(1950年頃?)奈良の実家にいたとき散歩中に見た轢死体のことー。こわいより前に「人間てこうなんだ」という無常さを感じたこと。野次馬のうち、前のほうにいるのは女学生だったこと。思ったより血は出ていなくて、下半身が見えなかったので探してみると(以下自粛)。(このへんたしかこの本に書いてありますので未読の方はぜひ。→「恐怖への招待 (河出文庫)」)そんなもの見たことないキンさんが、うわあ、というかんじで聞いていると、線路沿いかつ海沿いに住んでいた木原さんはけっこうな数の轢死体・溺死体を見て育ったらしく(好奇心が強いのだと思います)小学生の頃一度、頭がぱっくり割れて脳みそが外に出ちゃって、それがすぐ目の前にあったので温度を知りたくて手を伸ばしたら(ここで客席からなんとも言えない悲鳴あり)警察の人が後ろからその手をつかんで「それはやめておけ」ってとめたんだよ。とのこと。そ、それはやめとけ‥(含蓄ありすぎ)。(木原さんは怪談新耳袋の人です。尼崎から上京してきてジ○リの前身に入社して、って青春中央線のいいはなしもしてくれました念のため)

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トークの終わりのほうに、たのしいお話のお礼に客席から楳図先生にカメハメ波でパワーを送る(他の方の作品です)という儀式?があったのですが。気合をいれて、手のひらをむけてハァッ‥!てパワーを送ったつもりも、「なに?なに今の。パワーもらってるの?取られてるの?」と狼狽する楳図先生。だから‥他の方の作品なんだって。しかしわたしたち一般人が念を送っても、プラスかマイナスかわからないのね‥。つらいな現実。