アロイーズ展 @ワタリウム美術館

   
アロイーズは、1886年にスイスで生まれ、ポツダムのサンスーシ宮殿でヴィルヘルム2世の王室付司祭の子どもたちの世話係の職などを務めた。31才で統合失調症となり、32才から78才でなくなるまでの46年間を病院で過ごし、自分の精神世界を追い求めて絵を描き続けました。アロイーズの芸術性は、1947年、フランスの画家、ジャン・デュビュッフェ(1901-1985)により、見出されて世の人の知るところとなります。デュビュッフェは、このような美術の概念に束縛されない自由な表現を、アール・ブリュット(フランス語=生の芸術)と命名しました。
本展覧会では、アロイーズ研究の第一人者であり、アロイーズ財団の会長でもあるジャクリーヌ・ポレ=フォレル医師により厳選された、アロイーズ作品85点を展示します。10メートルを超えるものや、世界未公開作品も含めた、日本初の大規模な個展です。
アール・ブリュットへの関心が高まる日本において、その概念の原点に位置し、最も重要な作家として、ヨーロッパで高く評価されているアロイーズを広く見渡す事のできる機会となります。(→HP

アロイーズの絵はおそろしい。惹かれながらもおそろしい。まばゆい色彩で語られる愛の時間。恋は肉色。甘美な世界。なのに感じる断絶。生身の人間に見える世界ではないのだ。あの青い、盲目の眼球がないと。

もし、あなたが理性的な生活を続けるなら、夜の世界で盲目になるでしょう。 
          ・・・・・アロイーズ・コルバス

夜の世界‥。わたしには到達しにくい境地な気がする‥。こういう世界が見えるって、しあわせなのかしら。凡人のわたしはついそんなことを考えてしまう。でも、神様は人間のしあわせなんておかまいなしに、アロイーズにそういう眼を与えた。アロイーズにとって絵を描くことは、べつにしあわせでもふしあわせでもなくて、ただ、そうしないといられなかったのだろう。
−−晩年、アロイーズの描く絵の商業価値が上がってきたことにより、専属の作業療法士がつくことになったそうです。作業療法士は絵に、日付を入れることやサインを入れること、おそらくはその他にもあれこれ指導を入れ−−、その結果アロイーズの絵からは彼女らしさが失われ、同時に自身の健康状態が悪化。特にこれといった原因を見出せないまま、およそ半年後にこの世を去ることになってしまいます*1。自由な世界を奪われたら、生きていられなかったアロイーズ*2。あの青い眼は、赤い靴なのかしら。
アール・ブリュットについて、「作者の数だけ世界があり、作者はその、自分の世界の囚われ人である」というような言葉があったのが印象的でした。美術概念から囚われないことで自由に描いていると思われがちだけど、さらにきびしい世界に囚われているっていう−−−。
そう思いながら二度目の巡回をすると、アロイーズの絵は、囚われゆえにいっそうきらびやかに胸にせまってくるのでした。赤い靴は、まぶしいものだもの。

*1:まあこのときすでに78歳なので、老衰と云われたらそれまでだけど。でも高齢だからこそ、絵を描くことだけで生きていたのかしらんとも思えるわけで

*2:このへんの意思を作業療法士の人に伝えられたらよかったのに、と思わずにはいられないけど、そういうことができる人ではなかったのだろうなあ。つらい話だ